【2014/2/16 メモ】アスリートの輝石 山口蛍
2/16(日)22:54〜23:24
BS日テレで放送されました
「アスリートの輝石 #85 サッカー・山口蛍」
のメモです。
三重県で二人兄弟の二男として生まれた蛍選手。
どんな暗闇の中でも強く輝いてほしい。
この願いから「蛍」と名づけらえたそう。
外で遊ぶのが大好きで活発な男の子。
物心がつくまえから兄と父と一緒にサッカーで遊んでいた。
蛍
「父ちゃんが試合していて、それを兄ちゃんと一緒に連れていててもらってて。
楽しそうにやってるなってのもあって。サッカーしたいという気持ちが芽生えた」
小学校3年時に地域のサッカークラブに入団。
現在のそのクラブに所属する少年たちは
「日本代表になって、山口蛍選手みたいになりたい」
このクラブのコーチが山口憲一さん。
蛍選手の父。
当時はかなり息子には厳しかったという。
父
「指導者の子供だからとゆるいと、そういう風にみらてしまうと本人が可哀そう。
だからどちらかというとちょっと厳しかったかも。」
蛍
「練習は別にいいけど、試合はちょっと嫌っていうかやっぱり
毎試合終った後に怒られるんで。」
父の指導でどんどんうまくなっていた蛍選手。
しかし、蛍選手が10歳の時、親子に転機が訪れた。
両親の離婚。
それ以来、男手ひとつで育ててくれた父。
父はこの時、会社を辞め、
融通の利くアルバイト生活に。
父
「何を優先すべきか考えたとき、安定した生活より子供居る時間の方が。
後悔したくなかった。
昼間は建築関係、夕方はサッカーの練習、夜はバーでアルバイトさせていただいた。」
蛍
「今だからわかることですけど、
無理をしてバイトして、ちゃんと僕らに与えてくれていた。
僕が欲しいというものはくれてましたし、
何不自由なく過ごせていた。
子供たちに気づかれないようにしてくれていたと思う。
僕が同じ立場ならそれだけ頑張れたかなっていうぐらい頑張ってくれたんだと思う」
おかげで蛍選手はセレッソの下部組織に入団。
当時は一学年上に柿谷曜一朗、一学年下には扇原貴宏。
そんな中でも蛍選手のサッカーへの情熱は誰よりも強いものがあった。
父がいるからサッカーができる。
レベルの高い環境で着実に成長していった。
15歳でセレッソU18へ昇格。
18歳でプロ契約。
プロ5年目の昨シーズンは全試合先発出場。
そして日本代表選出。
蛍選手の実家には壁一面に山口選手の記事や写真が。
彼にとっての一番のサポーターであり、コーチは父。
山口蛍
「僕がどんどんどんどん上へ行くことが、
お父さんがしてくれたことへの恩返しでもあると思うので」
ロンドン五輪で息子の成長を見届けた父。
今までの苦労が報われた瞬間。
蛍選手のスパイクには「感謝」という文字が刻まれています。
今年からはチームキャプテンに就任。
蛍
「セレッソでやらなくちゃいけないことがたくさんある。
それしか考えていない。目の前の1試合1試合をしっかり勝って。
そうすれば最終的に結果につながると思う。
先のことを考えるんではなく目の前のことをしっかりやっていきたい」
蛍選手の家族にまた新しい絆が生まれる2014年になるでしょうね。